認知症の症状|脳の機能低下が引き起こす16の変化

認知症になってからでは遅い

認知症になると、それまで当たり前にできたことができなくなっていきます。

なぜ子どもの顔を忘れてしまうのか?
なぜ1人で服も着られなくなるのか?
なぜ道路標識を無視したり逆走してしまうのか?
なぜ突然人格が変わったようになるのか?

普通に社会生活を送っている健康な人からするとあり得ない現象が普通に起こります。

それでも誰もが認知症になる可能性があり、その何倍も認知症の人と関わる機会があります。

認知症の脳の中で何が起こっているのか?

理解しておくことは、誰にとっても必要なことだと想うんです。

ただ認知症の用語は難しいです。「中核症状」とか「周辺症状」とか言われてもイメージが浮かびませんよね。

そこで、あえて医学的な分類などは無視して、ボケナイン的に症状をまとめてみました。

医師でも研究者でもない一般人にとっては、学問的な厳密さよりも、「認知症ってこんな症状が出るんだ」というイメージを持つことが大事だと思っています。

記憶力の低下

認知症の代名詞とも言われるのが記憶力の低下です。特にアルツハイマー型認知症の場合、かなり初期から記憶力の低下が起こると言われています。

健常者の物忘れは「朝ご飯に何を食べたのか思い出せない」
認知症の物忘れは「朝ご飯を食べたことも思い出せない」
と言われますよね。

なぜ「記憶がすっぽり抜け落ちた」ような物忘れが起こるのか?

その理由は、脳の中で情報を保持したり、新しい記憶を作る役割をする『海馬(かいば)』が萎縮してしまうからです。

もちろん誰でも歳をとれば、新しいことは覚えにくくなります。

ただし普通な記憶力の低下の原因は、新しいことへの興味関心の低下や、過去の記憶が多すぎることによる「空き容量」の低下が原因だと言われています。

例えば、興味がある物事に取り組む時は60歳でも20歳とほとんど変わらない記憶力を発揮できるというデータもあります。

つまり、年齢が上がると物事の新鮮さが失われるので、興味関心が薄くなって、結果的に記憶力が低下するということです。

さらに過去の記憶が多い分だけ、新しいことを覚えても「思い出しにくく」なります。これは本棚の何万冊もの本から1冊を探し出すのが難しいのと同じです。

つまり正常な老化の場合、記憶する力=海馬の機能はあっても、色々な条件が悪いので記憶力が下がってしまうんです。

これが認知症により海馬の萎縮が起こると、全く話が変わってきます。

新しい記憶を作る機能自体が低下してしまいます。

実際、事故などで海馬が完全に壊れると、どんなに楽しいことも悲しいことも覚えていることができなくなります。

そのため、通常では考えられない物忘れが起こるようになります。

同じようなことが健常者の場合でも起こりうるのがアルコール性健忘です。

お酒を飲み過ぎた翌日などに「どうやって帰ったのか分からない」「3軒目のバーで焼酎を一気飲みしたところから記憶がない」といった経験があるかもしれません。

このような場合、アルコールで海馬が麻痺して、記憶そのものが作られなかった可能性があります。

同じようなことが認知症による記憶障害では、日常的に起こりうるわけですね。

記憶の喪失

新しいことを覚えられないのと、以前のことを忘れてしまうことは、脳の仕組みからは全く別物だと考えられます。

例えば記憶を作る『海馬』が壊れてしまい、新しいことを全く覚えられなくなった人でも、昔のことは完全に覚えていたりします。

一度作られた記憶は海馬には保存されずに、脳内でも他の部位の側頭葉(そくとうよう)などに保存されているからです。

ところが、認知症により側頭葉などが萎縮することで、過去の記憶も通常より速い速度で失われていくことになります。

この時、新しい記憶から失われていく傾向が強いため、自分の年齢が分からなくなったり、子どものことが分からなくなったりすることもあります。

80歳の人に「今何歳ですか?」と聞くと
「70歳くらいかな?」だったのが
「30歳過ぎたんだよ」になり
「私は19歳だよ!」となることもあります。

不思議なことに、物事の記憶がなくなっても、感情の記憶は残っていることは多いようです。

認知症の介護の際に怒鳴ったりしないほうがよいと言われますが、怒られたことは忘れても不快感だけは覚えているからです。

不快感は残るので、それがストレスになったり、介護者を敵だと思って暴れたりすることもあります。

ワーキングメモリーの低下

一般的に記憶力というと、数時間~数年といった期間の記憶を意味します。明日の約束や英単語を覚えている能力です。

記憶力と区別して、一時的に脳内で情報を保持する能力はワーキングメモリーと言われています。

作業記憶と直訳されますが、作業の処理能力と考えると分かりやすいかもしれません。

オフィスで言えば、一般的な記憶はファイルや本棚、ワーキングメモリーはデスク上のスペースのイメージですね。

デスクが広いほど、色々な資料を広げたり、複雑な作業を行うことができますよね。

脳の機能としては、記憶は海馬で作られますが、ワーキングメモリーは海馬ではなく、『前頭葉(ぜんとうよう)』を中心とした働きだと言われます。前頭葉は脳のおでこ部分で、理性や思考力を司るところです。

ワーキングメモリーが低下すると複雑な作業ができなくなるので、少し複雑な仕事になるとミスが増えるようになります。

もっと分かりやすいのは「計算」です。

例えば「6x7x4x3」といった複雑な計算を行うのには広大なワーキングメモリーが必要になります。

①6x7=42
②42x4=168
③168x3=504

というように頭の中で何度も計算を繰り返す必要があるからです。

じつは私自身も計算が超苦手です。
多分ワーキングメモリーが少ないんだと思います(--;)

これが認知症によりワーキングメモリーが低下する場合、ごく簡単な計算もできなくなります。

例えばコンビニで560円の物を買っても釣り銭を計算して610円を出すのではなく、「とりあえず」1000円札を出すようになります。

ところが本人は単に「面倒くさい」だけと思っているケースが多いのです。

奥さんが旦那さんのポケットが小銭だらけになっていることに気づき、認知症の早期発見につながるケースもあるようです。

時間・空間感覚の低下

認知症の症状として「自分の状況が分からない」というものがあります。

その原因のひとつが、時間感覚、空間感覚の低下です。

認知症が進行することで、時計を見ても何時か分からないといった状態になることもあります。

時間感覚、空間感覚についても、健常者と認知症で明確な境目があるわけではなく、誰でも経験していることではあります。

曜日が不規則な仕事や、夏休みなどの長い休みで「今日が何曜日か分からない」のは良くあることです。

自分が北に向かっているのか南に向かっているのか分からないというのも一般的な方向音痴レベルでしょう。

ところが「よく知っている道なのに迷うようになった」「規則的な仕事なのに火曜日か金曜日か分からない」といった状態であれば危険信号だと言えるでしょう。

分かりやすい兆候としては、車の運転が下手になることです。空間認識力が低下することで、車幅や車間距離がつかめなくなるからです。

駐車が下手になったり、擦ることが多くなった場合は認知症を疑ったほうが良いかも知れません。

注意力の低下

認知症になると「転びやすくなる」と言われています。

私たちは道を歩くときも無意識に注意力を発揮しています。

普段は意識しませんが、平坦に見える道路にも高低差や障害物がかなりあります。私たちは無意識にそれらの情報を計算して、転ばないようにぶつからないように歩いています。

ところが注意力が低下することで、「何もないところで転ぶ」ようになります。

歩行だけでなく、食事の際の箸の使い方、料理の際の包丁の使い方など、すべての日常生活で注意力が活かされています。

注意力は、「意識を注ぐ力」と書きます。

注力の低下すると、意識できる範囲が狭くなり、同時に色々なもに意識を向けることが困難になります。

例えば認知症の人に話かけるときは、「真正面」からゆっくり近づいて話しかけるのが良いと言われます。

たとえ視力が落ちていなくても、視界の中心から少し外れただけで、気づくことができないからです。斜め前から近づくと、いきなり目の前に人が現れたようで、ビックリしてしまうんです。

もし「よく物を落とすようになった」「食べ物をポロポロこぼすようになった」「包丁でよく指を切ってしまう」といったことがあれば、注意力が低下している可能性が考えられますね。

集中力の低下

集中のことを英語では「focus」と言いますが、私たちが何かの作業を行う時には意識を特定の対象に集める必要があります。さらにその状態を長時間維持する必要があります。

注意力と集中力は、意識の向け方という意味では兄弟関係にあります。認知症により注意力が落ちている場合、集中力は当然のように壊滅状態です。

そもそも脳にとって集中というのは難易度が高く、負荷の高い作業です。認知症でなくても、ほとんどの人はもっと集中力が欲しいと思っているでしょう。

なぜ誰もが集中力を欲しがるのかというと、集中力は「何かを成し遂げる力」そのものだからです。

パソコン作業やちょっとした事務作業、部屋の片付けであっても、数十分から数時間、ある程度の集中力を維持する必要があります。

集中力がなくなるということは、それもできなくなるということです。

やる気の低下

脳にはやる気を司る『側坐核(そくざかく)』という部分があります。認知症の進行により側坐核が浸食されると、全くやる気がでなくなる可能性があります。

実生活上の実感として、やる気と集中力は一緒くたになることが多いですが、イメージとしては車などを考えると分かりやすいかもしれません。

やる気を司る側坐核は車で言えばエンジンにあたり、集中力を司る前頭葉は車のハンドルにあたります。

やる気はあっても気が散って集中できないというのは、ハンドルコントロールが上手く出来ていない状態、やる気がないのはエンジンが動いていない状態です。

「やりたいけどできない」のは集中力の問題ですが、「やりたいという気も起きない」のはやる気の問題ですよね。

側坐核が活発に活動していると、見た目にも「目がキラキラしている」ような印象を与えます。

逆に認知症による見た目の変化としては「生気がない」表情というものがあります。他にも「死んだ魚のような目」「ポカーンとした顔」などの表情がありますね。

認知症の末期になると「まるで魂が抜けたよう」とまで表現されることもあります。

理解力の低下

認知症が進行することで言葉の意味が分からなくなることがあります。

誰でも学生時代に英単語の意味が分からず、英文を読むのに苦労した経験があると思いますが、それと同じことが日本語で起こるわけです。

認知症と診断される程度まで症状が進行すると、日常生活で使用する言葉が分からなくなったり、会話自体がうまくできなくなることもあります。

英語での会話が上手くできないのと似ていますね。

初期症状として起こりがちなのが、本や新聞などが読めなくなる可能性です。

私たちが会話で使う語彙よりも、文章を読む時に使用する語彙のほうが5倍~10倍多いと言われています。

そのため本を読んでも理解しにくい、知らない言葉が増えたと感じるようになります。

理解力の低下がさらに進むと「文字が書いてあるのは分かるけど、内容が全く理解できない」という状態になってしまいます。

理性の低下

アルコールが入ると言い争いが起こりやすくなり、ケンカも起こりやすくなります。

その理由は、アルコールが理性を麻痺させ、本能的な衝動に抑制が効かなくなるからです。

認知症により理性を司る脳の部位である前頭葉が機能低下を起こすと、ちょっとしたことでも激しく起こり出すようになります。

認知症のタイプとしては、アルツハイマー型認知症は、最初に記憶力に問題が起こりやすいのが特徴ですが、前頭側頭型認知症やアルコール性認知症と呼ばれるタイプでは、記憶力よりも先に性格面での問題が起こりやすいと言われています。

認知症=物忘れではありません。

記憶力などの知能面だけでなく、性格面でも変化が起こる可能性があります。そして多くの場合、好ましくない変化です。

高齢者による暴言や暴力が事件になり、「キレる老人」などと言われ問題になることがありますが、中には明らかに認知症による症状と思われるものもありますね。

実際、認知症の家族による暴言や暴力に困り果てて、医療機関や公的機関に駆け込む人はかなり多いようです。

思考の柔軟性の低下

私たちの社会に100%正しいことはあまりありません。

完全に正しい意見も、完全に間違った意見もなく、すべてはグレーゾーンだと言えます。

仕事を続けるべきかやめるべきか、結婚するべきかしないべきか、あらゆる決断の場面において、グレーゾーンの中で、メリットとデメリットを勘案して、少しでも白っぽい方を選びます。

それが合理的な判断です。

ところが認知症が進み、前頭葉の機能が低下することで、複雑な思考ができなくなり、合理的な判断ができなくなります。

その結果、思考が極端に偏るようになります。

本人にとっては自分が絶対に正しく、100%白なのですから、そこに議論の余地はありません。

その結果、他人の意見を聞き入れることができず、頑固になります。

ただし、特に男性の場合、年齢が上がるほど頑固になるのは健康な人でも同じです。

危ないのは突然頑固になった場合や、否定すると激しく怒る場合です。テレビに向かって怒り出すようなケースもあります。

このような場合、議論は成り立ちませんが、ある意味で計画力の欠如、集中力の欠如が幸いし、行動が伴うことは稀だとも言われています。

「原発は廃止するべきだ!!」と激しく怒っていても、原発反対のデモ行進をやり出すことはあまりないわけです。

そのため周囲の人間にとっては、台風のようにやり過ごすことが最良の選択肢になります。

被害妄想の増加

認知症に特徴的な症状として「物盗られ妄想」というものがあります。

例えば自分の財布が見つからない。本当は自分が置き場所を変えただけなのに、それを忘れてしまっているので「お前が盗んだんだろ!!」と家族に矛先を向けてしまう現象です。

この場合、「盗んでいない」と主張しても話が通じず、逆に怒り出すケースが多いようです。

本人にとっては100%黒なのですから「言い逃れするな」というわけです。

むしろ「じゃあ一緒に探しましょうね」と場面を変えることが効果的だとされています。

物盗られ妄想の他にも、妻が浮気をしていると思い込んだり、虐待されていると思い込むケースなどがあるようですが、総じて被害妄想が強くなると言われています。

背景には、記憶力や思考力の低下だけでなく、孤独感や不安があるとも言われています。

警戒心の低下

警戒感や恐怖感がなくなり他人に騙されやすくなる人もいます。

認知症になると理性や思考が低下するので言動は極端になりやすいですが、合わせて恐怖感も低下することが多いようです。

私たちの脳には『扁桃体(へんとうたい)』というパーツがありますが、熱いヤカンに触らないのも、蛇を見たら逃げるのも、扁桃体の働きが深く関係しています。

人間関係でも恐怖感は必要です。知らない人に「絶対儲かるから」とお金儲けに誘われても信じられないと思います。それが正常です。

人間も動物である以上「恐怖と警戒」をベースに動いています。それが危険をさけるため、生存のためだからです。

その恐怖感を乗り越えて誰かを信じることができるのは、理性の働きに他なりません。

だからこそ『信じる』という感情は、人間の最も尊い感情のひとつだと言われますし、心から信じられる人というのは尊い存在なんです。

ところが、扁桃体が冒されると恐怖感がなくなり、思考力の低下も重なり、悪い意味で欲望に正直になってしまいます。

「儲かるよ」と言われれば欲望のままに相手を信じてしまいますし、「孫が喜ぶよ」と言われれば孫の喜ぶ顔見たさに相手を信じてしまいます。

実際、一部の悪徳商法の業者は認知症の老人をターゲットにしているようです。

もし冷静なはずの親が悪徳商法に引っかかったら、お金の心配と同時に認知症の心配をしたほうが良いかも知れません。

身体感覚の低下

認知症を象徴する問題行動に『徘徊』があります。

徘徊が起こる背景には記憶障害、空間認識、状況認識の混乱がありますが、身体感覚が低下している点も見逃せません。

中には寝たきりの人が徘徊し、驚くほどの長距離を移動しているケースもあります。しかも裸足だったりするわけです。

足の痛み、全身の疲労といった感覚を感じないからこそ、体の限界を超えた行動が可能になってしまいます。

私たちが体を動かす時、限界を超えるとケガをしてしまうので、脳がリミッターをかけています。

自分の限界を超えるために、アスリートはトレーニングで脳のリミッターを壊そうとします。

認知症の場合はナチュラルに脳のリミッターが壊れてしまいます。

そのため介護者にすごい力で抵抗することもありますし、ケガをしやすくなります。

じつは同じことが健常者にも起こる可能性があり、過労死などは、脳のリミッターが正常に動かなかった結果だと思われます。

明らかに過剰な労働にも関わらず疲労を感じないような場合、何らかの脳トラブルが起こっている可能性があります。

自分でも気づかないうちに体の限界を超えてしまうリスクが高い状態です。

アスリートや冒険家でも、過酷なチャンレジを行う時ほど、綿密なドクターチェックを受けますよね。

私たちも同じで、年齢が上がるほど、忙しくなればなるほど、ドクターチェックや周囲の声に耳を傾ける謙虚さが大切になってきます。

現実との乖離

『作話』というのも認知症の典型的な症状のひとつです。

ありもしないこと、全くのデタラメをペラペラしゃべり続ける姿に驚愕することもあります。

ただ、ここで考えてほしいことが、認知症でも、そうでなくても、私たちはみんなウソつきだということです。

なぜ私たちはウソをつくのか?
ウソをついてしまうのはどんな時か?

最も多いのは、自分を守るためです。

遅刻の言い訳、浮気の言い訳などに限りません。ウソをつく必要性はないのに、自分のプライドを守るためにウソをついてしまうこともあります。

例えば『虚言癖』のある人は、理想の自分と現実の自分のギャップを埋めるためにウソをつくと言われています。

虚言癖とまではいかなくても、ついつい調子のよいことを言ったり、見栄を張ってしまう経験は誰にでもあると思います。

やっかいなことに、認知症になってもプライドを感じる部分は比較的後期まで残ることが多いんです。(そのため介護時も赤ちゃん言葉などはNGとされます。)

自己イメージと現実との間のギャップが大きければ、それだけ作り話の程度も大きくなり、周りからは「まったくのデタラメ」に見えてしまうんですね。

病識の欠如

認知症の発見が遅れる最大の理由が、病識の欠如、つまり自分では自分が認知症だとは考えないことです。

その理由のひとつが、「反省・内省」する力の低下です。

「反省・内省」機能は「デフォルトモードネットワーク」と呼ばれ、私たちが「何もしてない」タイミングで活性化することが分かっています。

認知機能というと、何かを記憶したり集中する、主体的な脳の働きをイメージしがちですが、一見何もしていないと思われる、「ぼー」っとした時間にも重要な意味があるようです。

何かの作業時は外向きの働きで、反省・内省というのは内向きの働きだからかもしれませんね。

反省・内省ができないと、自分の状態に無頓着になります。

普通の人でも忙しすぎると身だしなみに無頓着になったりするのも、内向きに脳が働く時間がないことが理由かもしれません。

ただでさえ、私たちは自分が見たいものしか見ることができません。

恋愛に夢中になっていると相手の欠点が目に入らないのも、脳が文字通り盲目になっているからです。

誰でも自分が認知症だとは認めたくないですよね。

認めたくないものを認めることができるのは、前頭葉を中心とした判断力の賜物ですが、判断力が鈍った状態ではそれも期待できません。

その結果、自分が認知症だと指摘されても、なかなか認めることができません。

ある大学教授が認知症になった時などは「なぜ自分が認知症ではないか」熱弁を振るったという話もあります。

ダメ男との恋に夢中になっている女性に「あんな男はやめたほうがいいよ」と言っても「でも、こんな良いところがあるの!」と聞く耳を持たないのと全く同じ状態になります。

友人の心からのアドバイスであっても、ダメ男に否定的な意見を言う友人と会わなくなることもありますよね。これが認知症だと医療機関の受診拒否ということになります。

認知症であることに気づかない
認知症だと指摘されても認めない
認知症だと指摘されそうなら病院に行かない

特に家庭内で権力を持つ男性などが認知症になった場合、医療機関に連れて行くこと自体が非常に困難になるケースは珍しくありません。

認知症対策では「先手」を打つことが大切な理由のひとつです。

社会性の欠如

認知症では様々な症状が起こりえますが、周囲の人間にとって最も絶望的な症状は記憶の喪失でも被害妄想でもなく「人の気持ちが分からなくなる」ことかもしれません。

「人の気持ちが分かる」という時、私たちの脳内では2つの機能が働いています。

ひとつめは文字通り、相手の感情を理解する力です。

相手が怒ってるのか、喜んでいるのか、悲しんでいるのか、表情の変化、声の表現などから読み取ること必要です。

ふたつめは相手の感情に共感する力です。

共感とは「相手の痛みを自分の痛みのように感じることができること」であり、これがないと社会生活はやっていけません。

脳内には『ミラーニューロン』というシステムがあります。例えば目の前で人が苦しんでいるのを見ると、自分が苦しい時と同じ脳の部位が活性化することが分かっています。

人が痛いと自分も痛い、人が笑えば自分も笑う、というのがミラーニューロンの働きであり、私たちに生来的に備わっている社会性の基盤です。

相手の嫌なことをしない、助けてもらったら感謝するというのは常識以前の常識で、社会生活の暗黙の了解ですよね。

ところが認知症となり脳が萎縮することで、人の気持ちが分からなくなってきます。本人に悪気はないかもしれませんが、自己中心的な行動になっていきます。

特に若年性認知症の場合に、仕事の継続が困難になる最大の理由は、記憶力や意欲の低下やミスの増加ではありません。

周りが本人のために協力して努力しても感謝の言葉がない、報われないというのが、協力者にとっては最もキツいそうです。

介護でも同じで、認知症介護の救いのなさにつながっています。

「ありがとう」の言葉がないこと。

それがどれほど周囲を精神的に追い込むのか、計り知れないものがあります。

私たちが普段何気なく交わしている言葉こそが、お互いにとって、かけがえのない言葉かもしれません。

ひとつのアイディアですが、自分が認知症になった場合に備え、家族や友人への感謝の言葉を手紙などに書いておく、というのも良いと思います。

まとめ

「認知症になってからでは遅い」

この言葉の意味は、認知症になったら治らないという意味だけではありません。

ここまで読んでいただければ、なぜ「認知症になってからでは遅い」のか、その理由が分かっていただけたと思います。

自分に何が起こるか分からない、自分に何が起こっているのか分からないのが認知症です。

認知症の予防のために、今できることはもちろんたくさんあります。

それ以上に、万が一認知症になった場合に備え、今やるべきことはたくさんあります。

何かひとつでも行動を変えるための参考になれば幸いです^^